浅妻船   その1



これから、少しづつ解説をさせていただこうと思います。
よろしくお付き合いくださいませ。


解説 その1



小波(さざなみ)や 八十(やそ)の湊に吹く風の 身に染み初むる比叡颪(ひえおろし)
千船百船(ちふねももふね)艪(ろ)を立てて 入るや岸根の柳蔭
この寝ぬる 

浅妻船の浅からぬ 契(ちぎり)の昔 驪山宮(りさんきゅう)
そも鞨鼓(かっこ)の始まりは 靺鞨国(まつかっこく)より伝え来て 唐の明皇愛で給ひ
そりゃ言はいでも済もうぞえ 済まぬ口説(くぜつ)の言ひがかり
背中合わせの(+仇に会わずの)床の山 此方(こちら)向かせて引き寄せて
(+夜毎夜毎のかぢ枕)抓めって見ても漕ぐ船の 仇し仇波浮気面






私が踊り始めるのが、下の段の「浅妻船の浅からぬ~」からです。
前段の間に、私が舞台下から上がってくるのでしょう。多分。(笑)



ここの歌詞の間は、ずっと船の上です。
船の上で踊るのですね。
だから動きすぎると、船から落ちるよ、とか船が沈むよ、といわれながらお稽古しています。

わはははははっ。(^0^)
でも、最近、やっと言われなくなりました。


上の( )ですが、前に+がついてるのは、あれは別バージョンの歌詞です。
わたしは、( )じゃないほうの歌詞でお稽古中です。



さて、浅妻船


ときは、5代将軍 徳川綱吉 の時代になります。

英一蝶(はなぶさ いっちょう)という絵師が、烏帽子(えぼし)水干(すいかん)姿の白拍子風の遊女が、鼓を前に置き、船に乗っている絵でいちやく有名になりました。



なんで、有名になったのでしょう?



この絵が、の下に描いてあったため、5代将軍綱吉と老中 柳沢吉保の妻との情事を風刺したものと咎めをうけ、英一蝶は12年間、三宅島に流されることになるのです。
水干姿の遊女を柳沢吉保の妻、客を将軍に見立てた、ということですね。
妻なのか、娘なのかあるいは、他の女性なのか(おでんの方、とか)諸説あります。
でも、おでんの方(愛妾)なら、将軍との耽溺生活を風刺したものですかね。。。。
ま、いずれにしてもオンナ関係を揶揄されたということに変わりないのでしょう。
でも、どう考えても妻が一番スキャンダラスだわ。(^^;



そうですねぇ、を描いてなかったら、おそらく流されてなかったんでしょうねぇ。
このひと。

この5代将軍あたりが、元禄時代なんです。
江戸時代の中で一番バブリーだといわれてるのが、この元禄時代。



今日はこれぐらいにしておきましょう。









最後まで読んでくれはって、おおきに。
またどうぞ、きとくれやす。

へ~、面白かったよ~という方
どうぞ、おしとくれやす、おおきに。023.gif



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by akikoj-happy | 2010-07-24 16:29 | 日本舞踊