古を稽える  (いにしえをかんがえる)



未生流のメルマガから抜粋。






「稽古」の「稽」は「考える」という意味です。
ですから「稽古」は「昔の物事を考える」、
古書を読んで学問をするということになるわけです。

この意味が、時代の移り変わりと共に広く使われるようになり
「練習すること」も「稽古」と言われるようになったが
練習するといっても「スキーを稽古する」とは言わない。
やはり「生け花」「茶の湯」等の場合に「稽古」を使う。なぜか。
これらの伝統技芸には、古くから伝えられた型があり、
その型から入ってゆくからです。
だから「練習」ではなく「稽古」なのです。

 ところが「稽」にはもう一つの意味があった。
「滑稽」という言葉だ。「おどけて面白いこと」だが
「滑稽」は「昔の物事がスッテンコロリンと転げること」ではありません。
「滑」は「乱す」という意味、
「稽」は「是を非とし、非を是のようにして巧みに是非を混同し、面白おかしくすること」です。

滑稽の「稽」を稽古の「稽」にあてはめると
「基本をいい加減にして勝手な事をする」ということになる。
でもそんなことをすれば、ご本人自身が損をすると思うのだ。
なぜなら、古くから伝えられた「型」は生きている。
生き続けてきた、といえるのです。
今日の「型」になるまでに余分な事は削られ、
必要な事はつけ加えられてきた。
つまり「定型」というのはじつは無いのであって
「型」は常に生成発展をしている、いわば歴史上の生き物なのです。
ですから「型」に付きあってみないと、その生命力はわからないと思うのです。

それなのに「型」をドレミファくらいに理解して
後は勝手にやる、そんなお弟子さんが増えてきたという。
そう、「滑稽」の「稽」の字をはめ込んだ「稽古」になっているのだ。
そういう人を「お客弟子」と言うそうだ。
一口に言えば弟子のくせに”お客づら”をしているのです。
「教わる」より「月謝を払っている」という意識の方が強い人のことを言うのだろう。



草柳大蔵氏の著書からの抜粋。






草柳さんは、お名前しか存じ上げていません。
昔は、テレビに出ておられたとか・・・・?


うちは、型にはめません。というのがウリの華道教室(の宣伝)を
みたことがあります。
顔、洗って出直して来ーい! と思った。


たまに独学で、というひと、確かにおられますけど、そんな人を天才と呼ぶのだと思います。わたしは。
(わかりやすい言葉でいうと、天才・・かな)



お金を払ってるのは、こっちよ、とは思ったことないですね。
さすがに、これはない。




話それますが、「お月謝持って帰って、もう来なくていい」という
怒られ方はしたことないですが、 「何しに来てるのよ?」
いわれたことはあります。
「週2回も高いお月謝払って、何しに来てるんだよ?」と。

これはこれで、すごい質問だ、と思う。(^^;(^^;(^^:
こんな質問をさせてしまった私って。(汗)
お稽古場におけるわたしの存在意義が問われる、究極の質問ですね。(汗)




お稽古に励みませう。






どうぞ、ぽちっとおしとくれやす。
今日も来てくれはって、おおきに。039.gif




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by akikoj-happy | 2010-09-02 15:02 |

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