金聖響くんとの出会い

昨日のなかまハーモニーホールでのプログラムに
九州交響楽団事務局長  今村晃氏の文章が掲載してありましのでご紹介します。

1997年1月、有楽町にあった都庁舎が新宿に移った跡地に国際フォーラムが完成したのを機に「アジア・フィル」を結成し、アジア諸国との友好親善をはかるコンサートを開催しようということになった時、そのディレクターを私が務めることになった。

指揮者は韓国の小澤征爾といわれるチョン・ミュンフン氏で、アジア各国から結集した演奏家たちを見事に掌握してリハーサルが順調に進行していたある日のこと、一人の青年が私のそばにやってきて、「僕は駆け出しの指揮者ですが、マエストロ・チョン・ミュンフンに紹介していただけないでしょうか」という。すでにその時チョン・ミュンフンは世界的な指揮者だったので、身も知らぬ青年にあってくれるかわからないし、私は私で、アジア各国から来た奏者たちの混成チームだけに何かしら問題が起きるので、この青年にいちいち構っている余裕はなかった。

だが青年の眼差しは真剣そのもので、帰ろうとする気配はない。そこでマエストロに率直に事情を話したところ「次の休憩は30分あるから、その時に会おう」と言ってくれた。

まもなくリハーサルが始まり、私はその青年と初めてゆっくり話すことができた。名前を金聖響といいウィーン国立音楽大学で指揮の勉強中だということ、韓国籍なのに韓国語ができないが生まれが大阪なので関西弁は達者なこと、中学生のときに父親の会社経営に伴い一家でアメリカに移住したこと、したがって中学から大学までアメリカの大学で過ごしたこと、お陰で英語は不自由しないが留学中のウィーンではドイツ語に苦労していること等々、個人的なことに話が及べば及ぶほど彼の好青年ぶりがわかり、「案外いい奴だな」と人知れず嬉しくなった。

そうこうするうちリハーサルが終わり、金くんとマエストロとの対面になった。彼にとっては待ちに待った時間の到来なので私は同席しなかったが、「ありがとうございました」と満面の笑みを浮かべて出てきた金くんの表情で会談がスムーズにいったことが分かった。

その日の夜、マエストロと夕食を共にした時、「指揮者は理論より実践が大事だから、そのような場を彼に与えてくれないだろうか」と頼まれた。マエストロがそう言う以上、直感的に金くんの才能を見抜いたのだと感じた私は彼の成長を遠巻きに見守っていたが、マエストロの直感どうり、翌年の1998年5月、コペンハーゲンで開催された第12回ニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで金くんは見事優勝した。

その優勝から8ヵ月後の1999年2月、マエストロとの約束どうり、金聖響くんを当時私が勤務していた東京都交響楽団(都響)へ招いたが、プログラム冒頭のベートーベンの「エグモント」序曲が鳴り響いた時、ここに至るまでのことが頭を去来しジーンとくるものがあった。その後、度々都響の指揮台に立ってもらったが、圧巻だったのは2001年9月16日のサントリーホールにおける都響のプロムナードコンサートで聞かせてくれたブラームスの「交響曲2番」である。まるで巨匠の域に達したかのような指揮ぶりで、ブラームス特有の重厚さと濃密さが重なり合う音の充実感と、流麗に羽ばたく音楽の躍動感に正直脱帽した。それはその後の指揮者人生が順風満帆に行くことを確信した瞬間でもあった。
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by akikoj-happy | 2008-03-17 10:50 | 音楽(クラシック) | Comments(0)

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